
作・演出:小林毅大
出演:冨田粥 目黒ほのか 小林毅大
◯日程
2024年12月21日(土)17:00開演(16:30開場)
2024年12月22日(日)17:00開演(16:30開場)
◯会場
非公開(東葉高速鉄道「八千代緑が丘」駅よりバスで10分。詳細は予約完了後メールにて)
◯チケット (当日現金精算)
一般:2000円
18歳以下:無料
◯予約フォーム
https://forms.gle/SUgis2LA6Fhk8cay5
◯ステートメント
4年くらい前から進んだと思ったらふりだしに戻る、進んだと思ったらホゥムに戻るの繰り返しで、だんだん自分だけが謎の空間にワァプしてるんじゃないかって気もしてきました。肌寒いですね。3年前のヒィトテックが汗で濡れてました。デイモンにホンモノもニセモノもないってよ。フリスビィとフラフープはおんなじ会社の商品だってよ。あんまりスラスラと、高いところが好きなんて言うなよなってことで仲間もできたので一緒にやります。吹き飛ばされないように地面に接吻とまでいかずとも、ここから首が生えてきたんですともいかない、トイレにユニクロの広告貼っとくかの半泣き具合で穴掘ってます。念のためできるだけ賢しらな顔をする準備もしています。つまぁんない!つまぁんない!つまぁんない!
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関東大震災101年朝鮮人犠牲者追悼式は船橋市馬込霊園で学校の始業式のように穏やかに行われた。実際チマチョゴリを着た朝鮮大学校の女子生徒8名ほどによる合唱というのもあった。司会進行は基本的に日本語で進められたが、総聯千葉・西部支部の呉学成委員長という人の追悼の辞はすべて韓国語だった。小池百合子に対する批判もしていたが、緊張感を煽るものではなく、なんだか恒例行事のようなところすら感じた。平行線の議論をずっと続けていくとこのような感じになるのだろうと思った。弔電が周辺の市から出ていることの説明もあり、初めて千葉市長からの弔電があったことも言われた。
石だけが知っている、星だけが見ている。慰霊碑はその撤去の難しさや煩雑さがむしろ記憶の保持に役立っているという声も聞くが、石がずっと見ているということのかたくなさに耐えられなくなり、撤去する例もでてきているようだ。慰霊碑の動かしづらさのように人の変わらなさが似ている。石を移動させたい気持ちは、人は変わるはずだという期待に支えられてもいないだろうか。
祖母が住んでいた旧家は、中のものはできるだけそのままにという方針で運営されている。トイレのドアのサインを撤去し別のものに差し替えたいというわたしの提案から交渉が難航したことでそのことに気づいた。旧家は祖母の墓のように、祖母の痕跡を石化したもののように、わたしの家族は捉えている。そう感じる。そうかと思い庭を掘り進めていると祖母が畑をやっていたところから黒く焦げたアルミホイルのような銀紙の数々と、真ん中で折り曲げられたエポスカードが出てきた。祖母の名前が入っていた。去年はこんなものは全く出てこなかった。ぞわっとした。おそらく銀紙は庭で野焼きして出たものだろうし(焼き芋をアルミホイルに包んで焼いてくれていた)、貴重品を庭に埋めるという祖母のセキュリティの感覚は確かだと思い、祖母の動機はすぐにわかるものだった。しかし依然として軍手でそれらを掴んだ時の感触の気持ち悪さは残っている。祖母が庭にものを捨てるなどするだろうか。几帳面な祖母ならきっちり分別してゴミに出すに違いない。近所から苦情が入るということで野焼きを控えていたと聞いたことがある。思ってもないところを探り当ててしまったわけだ。祖母は二年前に亡くなった。今年の一二月は三回忌にあたる。
石だけが知っている、あの星に見られているという仕方ではなく、穴を掘り思ってもないものに出会し、その像が変形するような仕方で、わたしは様々なものを記憶したいと考えている。それを言おうとしている。しかし人は変わるはずだという期待は、そんなことは知りたくなかったと裏切られるような感覚と裏腹であることもわかった。トイレのサインを変更することに強く反対する父、庭に物を捨てた祖母と同様に、わたしもまたわたし以外のものどもが石のように、星のようにあってくれたら(なぜそうではないのか)と強く思う。祖母が、わたしの知らない祖母だったのだということを確認するために、わたしは庭に穴を掘りそして掘り起こしたが、そこで気づいたのは皮肉にも、わたし以外のものどもが石や星のようにあってほしいと、わたしが思っていることだった。
わたしは昨年、わたしに家の霊が取り憑き始めていると書いた。旧家が祖母の家からわたしたち家族の家になる過程で、旧家の霊がわたしに取り憑き始めている。母や父や祖母に取り憑いてもいる霊だ。霊を振り解こうとして、母は盆に放心して座布団に座り、父は祖母のいなくなった旧家で眠り、祖母は庭に穴を掘って物を埋めた。話は最初に戻ってくる。人が石や星を求めるのは霊を振り解こうとするからだ。わたしは旧家のホストになろうとすることで、旧家の霊に取り憑かれながら、同時に旧家の霊をどのように石にできるかというそれぞれの試行錯誤を学んだ。どのようにして父や母は霊から身を引き剥がせるだろうか。身も蓋もないやり方かもしれないが、それは、旧家で上演をやり父と母を観客として招くことではないかと今のわたしは考えている。(小林)